大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和26年(ク)109号 決定 1960年7月06日

〔解説〕本件は家屋の所有者が、家屋の賃借人を相手として家屋明渡訴訟を、また家屋の不法占有者を相手として占有回収訴訟をそれぞれ提起したところ、一審の東京地方裁判所が調停による解決を相当として、職権をもつて前者を借地借家調停に、後者を戦時民事特別法(以下戦特法と略称す)一六条による調停にそれぞれ付し、自ら調停を試みたが遂に成立しなかつたので、調停裁判所において両事件を併合した上、戦特法一九条二項金銭債務臨時調停法(以下金調法と略称す)七条一項八条の規定により調停に代わる決定をなし、本件家屋の賃貸借を合意解除し、家屋の明渡をなすべきことを命じた事案において、この調停に代わる裁判の合憲性が争われた事例である。

本決定の要旨は「憲法は、基本的人権として裁判請求権を認め、何人も裁判所に対し裁判を請求して司法権による権利、利益の救済を求めることができることとすると共に、純然たる訴訟事件の裁判については公開の原則による対審および判決によるべき旨を定めており、他方金調法による調停に代わる裁判はこれに対して即時抗告の途が認められているにせよ、その裁判が確定した上は、確定判決と同一の効力をもつことになるのであるから、金調法の対象とするところは、単に既存の債務関係について利息、期限等を形成的に変更することに関するものにかぎられ、当事者の意思いかんに拘らず、終局的に、争いある事実を確定し、当事者の主張する権利義務の存否を確定するような純然たる訴訟事項に関する裁判の如きは、これに包含されないものと解するのが相当である。とすれば、純然たる訴訟事件である家屋明渡請求および占有回収請求につき、戦特法一九条二項金調法七条一項八条によりなした本件調停に代わる決定は、金調法に違反するとともに、憲法八二条および三二条に違反する」というものであつて、これはさきに「家屋明渡請求事件につき、戦特法一九条二項、金調法七条一項によつてなされた調停に代わる決定も、一つの裁判たるを失わないばかりでなく、この裁判には抗告、再抗告、特別抗告の途も開かれており、抗告人の裁判を受ける権利の行使を妨げたことにはならないから憲法三二条に違反しない」とした最高裁昭和三一・一〇・三一大法廷決定、民集一〇巻一〇号一三五五頁を変更したものである(前の裁判においては、この調停に代わる裁判を違憲でないとする多数意見八に対し、これを違憲とする反対意見が七もあり、学者の多くは少数意見の結論を支持し、当時からすでに問題とされていた。その後最高裁判所裁判官の顔ぶれが変つたため、前回の結論が覆つて、前回の少数意見の結論が多数意見の結論となつたものである。なお、結論を同じくする裁判官の間にも、その理論の立て方は様々で、種々のニュアンスがあり、この問題の難しさを如実に物語つている)。

本件は現在すでに廃止されている戦特法および金調法に関するものであるが、司法権の本質や国民の基本的人権としての裁判請求権の性質につき、最高裁判所がさきに自ら大法廷でなした決定を破り、原審の裁判の違憲を論じたものとして注目されるのみならず、他方ここで展開されている理論は、非訟裁判と称されている家事審判と訴訟との関係、とくに家事審判法二四条一項による「調停に代わる審判の合憲性」や、従来から論議の対象となつている「審判の前提要件たる権利または法律関係の存否と家事審判権」などの問題を論ずる上において、示唆するところきわめて大きいものがあるといえよう。

抗告人 野村秀三

相手方 山本俊助 外三名

主文

原決定を破棄し、東京地方裁判所がなした昭和二五年九月六日附及び同二三年四月二八日附の決定はいずれもこれを取り消す。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

特別抗告人の抗告理由第一章について。

憲法は三二条において、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないと規定し、八二条において、裁判の対審及び判決は、対審についての同条二項の例外の場合を除き、公開の法廷でこれを行う旨を定めている。即ち、慮法は一方において、基本的人権として裁判請求権を認め、何人も裁判所に対し裁判を請求して司法権による権利、利益の救済を求めることができることとすると共に、他方において、純然たる訴訟事件の裁判については、前記のごとき公開の原則の下における対審及び判決によるべき旨を定めたのであつて、これにより、近代民主社会における人権の保障が全うされるのである。従つて、若し性質上純然たる訴訟事件につき、当事者の意思いかんに拘わらず終局的に、事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定するような裁判が、憲法所定の例外の場合を除き、公開の法廷における対審及び判決によつてなされないとするならば、それは憲法八二条に違反すると共に、同三二条が基本的人権として裁判請求権を認めた趣旨をも没却するものといわねばならない。

ところで、金銭債務臨時調停法七条一項は、同条所定の場合に、裁判所が一切の事情を斟酌して、調停に代え、利息、期限その他債務関係の変更を命ずる裁判をすることができ、また、その裁判においては、債務の履行その他財産上の給付を命ずることができる旨を定め、同八条は、その裁判の手続は、非訟事件手続法による旨を定めており、そしてこれらの規定は戦時民事特別法一九条二項により借地借家調停法による調停に準用されていた。しかし、右戦時民事特別法により準用された金銭債務臨時調停法には現行民事調停法一八条(異議の申立)、一九条(調停不成立等の場合の訴の提起)のような規定を欠き、また、右戦時民事特別法により準用された金銭債務臨時調停法一〇条は、同七条の調停に代わる「裁判確定シタルトキハ其ノ裁判ハ裁判上ノ和解ト同一ノ効力ヲ有ス」ることを規定し、民訟二〇三条は、「和解……ヲ調書ニ記載シタルトキハ其ノ記載ハ確定判決ト同一ノ効力ヲ有ス」る旨を定めているのである。しからば、金銭債務臨時調停法七条の調停に代わる裁判は、これに対し即時抗告の途が認められていたにせよ、その裁判が確定した上は、確定判決と同一の効力をもつこととなるのであつて、結局当事者の意思いかんに拘わらず終局的になされる裁判といわざるを得ず、そしてその裁判は、公開の法廷における対審及び判決によつてなされるものではないのである。

よつて、前述した憲法八二条、三二条の法意に照らし、右金銭債務臨時調停法七条の法意を考えてみるに、同条の調停に代わる裁判は、単に既存の債務関係について、利息、期限等を形成的に変更することに関するもの、即ち性質上非訟事件に関するものに限られ、純然たる訴訟事件につき、事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定する裁判のごときは、これに包含されていないものと解するを相当とするのであつて、同法八条が、右の裁判は「非訟事件手続法ニ依リ之ヲ為ス」と規定したのも、その趣旨にほかならない。

これを本件について見るに、本件は、相手方山本俊助が、抗告人野村秀三郎及び野村能雄に対して東京区裁判所に昭和二一年一〇月七日提起した同裁判所昭和二一年(ハ)第三八三号家屋明渡請求事件(野村能雄に対する訴は後に有効に取り下げられている。)及び抗告人野村秀三郎が相手方山木貞夫、同芳久、同このに対して同裁判所に昭和二一年一一月一二日提起した同裁判所昭和二一年(ハ)第四七八号占有回収請求事件(いずれも後に東京地方裁判所に引き継がれた)の各係属中に、東京地方裁判所は職権をもつて各別に戦時民事特別法により、自ら調停により処理する旨を決定したが、右調停が不調となるや、昭和二三年四月二八日同法一八条、金銭債務臨時調停法七条一項、八条の規定により、右両事件を併合して調停に代わる決定をなしたところ、野村秀三郎は右決定に対し抗告を申し立て、同裁判所が昭和二五年九月六日右決定の一部を変更の上抗告を棄却するに及び、更に東京高等裁判所に再抗告を申し立て、同裁判所が昭和二六年六月五日該抗告を棄却し、これに対し抗告人野村秀三郎は当裁判所に特別抗告を申し立てたものであることが記録上明らかであり、本件訴は、その請求の趣旨及び原因が第一審決定の摘示するとおりで、家屋明渡及び占有回収に関する純然たる訴訟事件であることは明瞭である。しかるに、このような本件訴に対し、東京地方裁判所及び東京高等裁判所は、いずれも金銭債務臨時調停法七条による調停に代わる裁判をすることを正当としているのであつて、右各裁判所の判断は、同法に違反するものであるばかりでなく、同時に憲法八二条、三二条に照らし、違憲たるを免れないことは、上来説示したところにより明らかというべく、論旨はこの点において理由あるに帰する。従つて、昭和二四年(ク)第五二号事件につき、同三一年一〇月三一日になされた大法廷の決定(民集一〇巻一〇号一三五五頁以下)は、本決定の限度において変更されたものである。

よつて、その余の論旨に対する判断を省略し、民訴四一九条ノ三、四〇七条、三九六条、三八六条、三八九条に従い、裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同下飯坂潤夫、同奥野健一、同高木常七の補足意見、裁判官小谷勝重、同池田克、同河村大助の意見及び裁判官田中耕太郎、同島保、同斎藤悠輔、同垂水克己、同高橋潔、同石坂修一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同高木常七の補足意見は次のとおりである。

われわれは、次のごとき補足意見を附して多数意見に賛同するものであつて、その基本的な考え方は、本決定により変更されることとなつた昭和二四年(7)第五二号事件につき、同三一年一〇月三一日になされた大法廷決定に附した裁判官藤田八郎、同入江俊郎の少数意見と趣旨を同じうする。

即ち、われわれは、金銭債務臨時調停法七条の調停に代わる裁判は性質上非訟事件に関するものに限られ、純然たる訴訟事件につき事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定する裁判のごときは、これに包含されていないものと解するを相当とするとの多数意見は正当であると考えるのであつて、さきに大審院が、たとえ基本たる債権の成立に争ある場合においても、諸般の事情を参酌して、権利関係の存否を確定する趣旨の、調停に代わる裁判をすることができる旨を判示したこと(昭和一八年五月一八日第一民事部決定)は、同条立法の趣旨を逸脱したものであると思うのである。

次にわれわれは、金銭債務臨時調停法七条の調停に代わる裁判は、多数意見を引用した同法一〇条及び民訴二〇三条の規定の解釈上、確定判決と同一の効力を有し、いわゆる既判力を有するものであり、その意味において、右調停に代わる裁判が純然たる訴訟事件につきなされたときは、結局当事者の意思いかんに拘わらず終局的になされる裁判となり、憲法八二条、三二条に違反するを免れないと解する。従つて、われわれは、既判力を有しないが故にかかる裁判も違憲でないとの意見には反対である。また、われわれは、既判力を有しないけれども、当該具体的の事件が調停に代わる裁判によつて一応終結することとなつて、当事者が別訴を起すためには更に費用と手数がかかり、その為に損害を蒙むるに至ることもありうべきが故に違憲であるとの見解にも賛同しえない。蓋し、もし既判力を有しないものであるとするならば、裁判所のなした調停に代わる裁判において示された解決方法を甘受しえないとする当事者は、その法律上の争訟を解決して自己の権利、利益の救済を求めるため、更に裁判所に訴を提起し、公開の裁判を受ける権利を依然保有するわけであるから、憲法の前記法条において保障した人権の享有を妨げられることにならず、右憲法の法条に違反することにはならない。訴訟事件において裁判に不服ある者が、更に裁判所の裁判を求め、公開の法廷における対審、判決を受けることのできる途が、上訴の方法によつてなされるか、または当該具体的事件は一応終結しても、更に別訴を提起することによつてなされるかは、立法政策に委された問題であり、別訴を起すことのため費用と手数を要しまたは損害を蒙むることがありうるとしても、その一事をもつて直ちに憲法に違反するものであるとは断じえない。右いずれの方法によるにせよ、結局において裁判所の裁判を求め、公開の法廷における対審、判決を受けうる途が認められている限りは、憲法の前記法案に違反することにはならぬと解するを正当と考えるのである。

裁判官下飯坂潤夫の補足意見は次の如くである。

私も多数説と結論において一致するが、その理由とするところは、これといささか異り、本抗告理由第一章の立論を概ね正当とするのである。以下、簡単にその理由を述べたい。

相手方山木俊助が、抗告人野村秀三郎及び野村能雄に対して東京区裁判所に昭和二一年一〇月七日提起した同裁判所昭和二一年(ハ)第三八三号家屋明渡請求事件(野村能雄に対する訴は後に有効に取下げられている)、及び抗告人野村秀三郎が相手方山木貞夫、同芳久、同このに対して同裁判所に昭和二一年一一月一二日提起した同裁判所昭和二一年(ハ)第四七八号占有回収事件(いずれも後に東京地方裁判所に引き継がれた)の各係属中に、東京地方裁判所は職権を以て各別に、戦時民事特別法による自己調停に付し、それが不調となるや、昭和二三年四月二八日同法一九条、金銭債務臨時調停法七条一項、八条(なお、戦時民事特別法廃止法律昭和二〇年法律第四号附則二項参照)の規定に則り右両事件を併合の上、調停に代る決定をなしたところ、野村秀三郎は右決定に抗告を申立て、同裁判所が昭和二五年九月六日右決定を一部変更の上抗告を棄却するに及び、更に東京高等裁判所に再抗告を申立て、同裁判所が昭和二六年六月五日該抗告を棄却するや、当裁判所に対し特別抗告を申立てたのが、本件である。

思うに、本件のように、裁判所が係属中の民事訴訟事件を職権で調停に付することは訴訟経済上好ましいことであり、そしてその手続の下において成立する調停は当事者の合意を前提とする契約に外ならないが故に、契約自由の原則によつて違憲事項を内容とする場合は格別、それ自体違憲とさるべきものでないことはいうまでもない。また、民事調停法一七条にいわゆる調停に代る裁判は同法一八条において当事者又は利害関係人の異議申立によつて、その効力を失うものとされ、当事者の合意を前提としており、右異議申立のない場合は、その合意があつたものとして契約の成立を認めていささかも差支えないのであるから、その限りにおいて、契約自由の原則の支配の下にあるのであつて、これまた違憲を以て遇さるべき筋合のものではない。

しかしながら、戦時民事特別法一九条、金銭債務臨時調停法七条一項、八条に則つてなされた前掲のような裁判については、しかく同一に解するを得ないものと考える。

そもそも、近代の法治国家においては何人も裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」について国家に対し裁判を求める権利を有する、民事について言えば講学上いわゆる権利保護請求権、あるいは訴権と称せられるものが、これである。そして、ここに裁判とは係争当事者間に具体的事実に即して争われている法律効果の存否についての争を公権的に解決する国家の作用を言い、このような作用をなす国家の機関が裁判所であり、裁判所のみがかかる権能を有する。固有の司法裁判権と称せられるものが正にこれである(憲法七六条一項、二項参照)。

憲法三二条は、何人も裁判所において裁判を受ける権利は奮われないと明定する。その意味するものは広汎であるが、その大事な点は同条が憲法七六条一項、二項と表裏一体をなし、裁判所は前示固有の権能を有すると同時に、固有の意味における裁判をなす職務を有し、従つて、何人も裁判所に出訴して、固有の意味における裁判を受ける権利を侵害されないということである。(このことは刑事訴訟事件において特に切実である。)同条が基本的人権保障の条章とされる所以も実にここにある。従つて、民事訴訟が係属する限り裁判所は固有の意味における裁判をしなくてはならず、それ以外の裁判をしてはならないのである。(されば、本件のような民事訴訟事件について非訟事件手続法による裁判はできないわけである。)そして、この基本的人権の保障との関連において、裁判の公正を担保すべく発達したのが、公開主義、直接主義、口頭主義、自由心証主義等の民事訴訟手続を支配する諸原則であり、憲法はこれら原則に呼応して、第八二条において、裁判所が口頭弁論を経てなす固有の意味の裁判の形式は判決でなければならないものとし、その判決手続は原則として対審でなければならず、また、判決言渡は必ず公開法廷でしなければならないものと規定しているのである。なお、附言するが、固有の司法裁判権の対象となるのは、前示にいわゆる「法律上の争訟」である。ここに法律上の争訟とは法の適用上権利義務又は法律関係が相反する関係において対立していることを意味する。従つて、実体法上の権利義務が定められておらず、裁判によつて、あらたに権利又は法律関係が形成される場合は法律上の争訟に属せず、いわゆる非訟事件である。そしてこの場合に裁判所のなす裁判は固有の意味の裁判ではないのであつてこの裁判に関しては公開主義、直接主義、口頭主義は行われない。

してみれば、本件民事訴訟事件において、戦時民事特別法一九条、金銭債務臨時調停法七条一項、八条に則つて調停に代る裁判として、東京地方裁判所が昭和二三年四月二八日になした前掲決定及びこれを抗告審として一部変更の上支持して同裁判所が昭和二五年九月六日になした前掲決定及びこれを再抗告審として支持して東京高等裁判所が昭和二六年六月五日になした前掲決定は、いずれも前示憲法の条章に牴触するものというの外なく、結局違憲無効のものと言わざるを得ない。従つて、論旨は結局理由あるに帰し、原決定は破棄され、かつ前掲東京地方裁判所の各決定は取消を免れないものと認める次第なのである。

裁判官奥野健一の補足意見は、次のとおりである。

金銭債務臨時調停法七条は、調停不成立の場合に、裁判所は調停に代わる裁判、いわゆる強制調停の裁判をなし得ることを規定している。しかし、この規定は、基本たる債務関係の存在については当事者間に争がない場合において、その債務の条件である利息、期限等について裁判所が変更を命ずる裁判をなし得ることを定めたものであつて、基本たる債務関係の存否について根本的に争がある場合とか、また、利息、期限などの債務条件以外の基本たる債務関係についてその変更を命ずることは同規定の予想しないところであり、同条によつては許されない趣旨であると解するのが相当である。けだし、このことは、同条が「債務関係ノ変更ヲ命ズル」とあることにより、既に基本たる債務関係の存在することを前提とするものであることが窺われ、また、変更を命ずる裁判の対象は「利息、期限其ノ他債務関係」であつて、利息、期限に準ずる債務条件についてなすものであることを推知することができるからである。

若し、これに反し、基本たる債務関係の存在について当事者間に争があるにもかかわらず、裁判所が本条によつて基本的債務関係につき、その存在を認容したり、または、否定したり、これを変更したりすることができるものとすれば、たとえ、裁判所が「当事者双方ノ利益ヲ衡平ニ考慮シ」「一切ノ事情ヲ斟酌シテ」裁判するとしても、それは、結局法律によらずして、裁判所が一種の裁量によつて基本たる法律関係の創設、消滅、変更を行うものであつて、かかることは、最早司法権の行使とはいいえず、旧憲法時代といえども、かかる立法は許されなかつた筈である。(この意味において、大審院がたとえ、基本たる債権の成立に争ある場合においても、諸般の事情を参酌して、権利関係の存在を確定する趣旨の「調停に代る裁判」をすることができる旨判示した昭和一八年五月一八日の決定に賛同できない。)

そして、右金銭債務臨時調停法七条の規定が、借地借家調停法に依る調停に準用される場合においても、借地・借家の基本的法律関係については、当事者間に争のない場合において、賃料等の債務条件についてのみ、その変更を命ずる裁判をなしうるものと解するを相当とする。しかるに、本件においては、基本たる賃貸借関係の存否について当事者間に争があるにかかわらず、第一、二審の決定の示すとおり、一方の当事者に対し、既になした解約申入を撤回せしめ、他方の当事者に対しては賃貸借契約が解除せられたことに合意せしめて家屋の明渡を命ずるほか損害賠償請求権、共同使用による費用負担関係、賃料供託の適法なることの承認など各種の条項を定めておるのであつて、かかる裁判は金銭債務臨時調停法七条の裁判によつて許されないものというべく、かかる基本的な賃貸借関係の存否について判断せんとするならば、よろしく、強制調停によることなく、訴訟を進行せしめ憲法八二条により公開法廷において審理、判決を行うべきものである。しかるに、この挙に出でなかつた原決定並びに東京地方裁判所がなした昭和二五年九月六日および同二三年四月二八日の各決定並びにこれを是認した原決定は、違憲として破棄を免れない。私はこの趣旨において多数意見に同調する。

裁判官小谷勝重の意見は次のとおりである。

わたくしは主文には同調するが、理由については次のとおりの異見を有する。

多数意見は、戦時民事特別法に準用する金銭債務臨時調停法七条のいわゆる調停裁判は、利息または期限等を形成的に変更することに関するもの、即ち性質上非訟事件に関するものに限られると、判示するけれども、金調法七条一項は「調停ニ代へ利息、期限其ノ他債務関係ノ変更ヲ命ズルコトヲ得」と規定するところであつて、同条の決定裁判の目的を利息または期限等に限定しておるものとは到底解せられず、広く当該債務関係全般についての変更裁判を規定しているものと解する。ただその変更は同条の規定する如く「衡平ニ考慮シ……其ノ他一切ノ事情ヲ斟酌シ」て為さるべきものである。次に多数意見は利息または期限等の変更裁判はその本質非訟事件であるが如く判示するのであるが、この点わたくしには到底首肯し難い。なるほど利息は元本に従属的なものではあるければも、一旦利息債権として発生すると、元本債権とは独立した権利関係に立つものであり、これが訴求は一般の民事訴訟の目的となるものであつて、非訟事件手続による審判の目的となるものでないことは多言を要しないからである。このことは利息債権だけを訴求する案件の場合を考えれば明らかである。また期限に関しても同様である。すなわち期限については当事者間に争いがあり、その確定を求める訴の場合を考えれば同様に理解できる。これを要するにわたくしは、金調法七条の調停裁判の目的物は、債務関係のすべてについてであると解釈するを正当と考える。さればこそ、同条は同法一〇条、民訴二〇三条の規定との関係において憲法三二条、八二条に違反する無効の規定とわたくしは断ずるのである。

以上の外、わたくしの意見として、昭和二四年(ク)第五二号同三一年一〇月三一日大法廷決定に附したわたくしの「反対意見」(判例集一〇巻一〇号民事一三六三頁以下)を、本件にそのままそれを引用する。

裁判官池田克の意見は、次のとおりである。

自分は、本件と同種の事件(昭和二四年(ク)第五二号調停に代わる裁判に対する抗告申立棄却決定に対する特別抗告事件)についてなされた昭和三一年一〇月三一日の大法廷決定中に基本的な意見を述べておいたところであり、今日もなお、同一の意見を持続しているので、本件についても、もとより多数意見と結論を同じくする。ただ、多数意見と理由を異にするのは、金銭債務臨時調停法七条は多数意見のように制限的な趣旨には解されないこと、従つて、同法条を借地借家調停法による調停に準用するものとした戦時民事特別法一九条を違憲と解する点である。そしてこの点については、河村大助裁判官の意見に同調するものである。

裁判官河村大助の意見は、次のとおりである。

わたくしは、多数意見に同調するものであるが、ただ、その理由について若干異見を有するから、次にこれを述べる。

憲法三二条は国民の基本的人権の擁護について平等かつ完全な手段を保障しているものであつて、裁判所によつて裁判されるなら非訟事件手続その他如何なる手続によるも問わないというような内容のない保障と解すべきでなく、同法八二条と相まつて厳格なる意味における司法権の作用としてなされる裁判を念頭において規定されたものと解するを相当とする。すなわち、刑事について、起訴されると被告人として裁判を受けること、民事については具体的紛争につき自ら裁判所へ訴を提起する自由を有すること及びその審理と裁判は公開の法廷において行われる対審(口頭弁論)及び判決によつて公権的な判断を求め得ることを意味するものであり、国民のかかる裁判を受ける権利はこれを奪うことができないものとして保障しているものと解すべきである。従つて憲法の保障する公開の法廷において対審判決により公権的な判断作用をなすべきところの訴訟事件を、かかる厳格な手続によらない密行、簡易な非訟事件手続の裁判で結末をつけることは憲法の許さないところである。況んや適法に係属した訴訟事件を裁判所の職権で非訟事件手続に移し、非訟事件裁判で終結するが如きことは、当事者から不当に「裁判を受ける権利」を奪うことになり、憲法三二条に違反するものと解する。しかるに本件で問題の戦時民事特別法(以下特別法と略称する)は借地借家の紛争につき係属中の民事訴訟事件を裁判所の職権で調停に付し(特別法一六条、一九条一項)これに特別法一九条二項により準用する金銭債務臨時調停法(以下金調法と略称する)七条一項を適用して調停に代る裁判を行うものであるから、その裁判が既判力を有すると否とに拘らず右は民事訴訟事件として当事者の裁判を受ける権利を奪う結果となり、さきに述べた理由により憲法三二条に違反するものといわなければならない。

この点につき、多数意見は、借地借家の調停に準用される金調法一〇条は、同七条一項の調停に代る裁判が確定したときは、その裁判は裁判上の和解と同一の効力を有すと規定し、民訴二〇三条が裁判上の和解は確定判決と同一の効力を有する旨を定めているから、本件調停に代る裁判も確定したときは、確定判決と同一の効力をもち終局的になされた裁判となることを理由として違憲であると判断している、その趣旨とするところ必らずしも明らかでないが要するに右裁判は既判力を有し、当事者は再び訴を提起して争うことができないことを根拠としているものの如く解せられる。しかし、わたくしは、前述の如く当事者が公開の法廷において、対審判決を求める権利を行使しているのに、裁判所が職権で調停に付し、(調停に付すること自体は違法ではない)更にこれを非訟事件裁判でその紛争を解決すること自体が、当事者の「裁判を受ける権利」の剥奪であると解するから、その裁判がたとえ既判力を有しないとの説に従うも、前記結論に影響がないことは後述するとおりである。

元来裁判上の和解に既判力を認むべきか否かは争いの存するところであるが、ここにはその検討を省き結論として、わたくしは判決に既判力を認むる所以の根拠を、訴訟事件について厳格な手続の下に行われる公権的判断の権威の保持にありと解するから、かかる判断作用を内容としない和解には既判力を認むべきではないとの説に賛成するものである。従つて裁判上の和解と同一の効力を認められるに過ぎない調停に代る裁判についてもまた既判力を有しないものと解するの外はないと考える。そこで既判力がないとすれば当該非訟事件の裁判の内容が到底承服出来ないとする当事者はその法律上の争訟を解決するため再び訴を提起する自由を有するから、該非訟事件裁判を目して「裁判を受ける権利」を奪われたことにならないと言えるかどうかの問題を生ずる。なるほど再訴が出来るから訴の自由は終局的には失つていないとの形式論はなりたつ、しかし、当事者が新たに訴を起すためには多額の費用と手数がかかるという大きな犠牲を払うことに思いを致さなければならないし、ことに経済的弱者にとつては新訴の提起が如何に至難であるかはわが国においては顕著な事実であろう。すなわち、かような当事者の犠牲は既に適法に提起された訴により対審判決を受ける権利を拒否されたために生ずる不当の結果であつて、当事者がこれを甘受しなければならない道理はない。また調停に代る裁判は既判力がないにしても、その内容に給付を命ずる裁判を含む場合(本件はこれに当る)は所謂債務名義となつて執行力を有することは、いうをまたないところであるから、当事者は、その執行により回復すべからざる損害を生ずることも、またあり得るところである、すなわち当事者の立場からすれば、敍上のような当事者の受ける不利益乃至損害は、民事訴訟事件を非訟事件裁判に移行した結果生ずるものであるといえよう。従つて、右非訟事件裁判に既判力を認めなければ、当事者の「裁判を受ける権利」を奪うことにならないとの説には到底賛同できない。

なお、多数意見によれば金調法七条は単に既存債務につき利息、期限等の権利関係を変更するものに限られ、訴訟事件につき事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定する裁判のごときはこれに包含されないものと解しているが、同条を準用する前示特別法は、借地借家の紛争(借地借家調停法一条、二条参照)につき現に係属する訴訟事件の解決に同条を準用しているのであるから、同条は訴訟事件につき紛争の内容たる権利義務の存否を確定することをも当然包含せしむる趣旨と解するの外はない、蓋し争いある法律関係の解決を含ませないような制限解釈をとるときは借地借家の紛争につき同条を準用した意義がないことになるであろう。すなわち、準用法条は右のような性質をもつ規定であるが故に違憲と解する。(多数意見は右法条を違憲と見ず、単に原裁判のみを違憲と解している。)

以上の理由により金銭債務臨時調停法七条一項を借地借家調停法の調停に準用する戦時民事特別法一九条二項の規定は憲法三二条、同八二条に違反し従つて右法条に基いて為された裁判も違憲無効であると解する。

裁判官島保、同石坂修一の反対意見は、次のとおりである。

憲法は、法律上の争訟につき、何人も司法裁判所の裁判によりその解決を受け得べき権利を有すること、しかもその裁判の対審及び判決は公開の法廷で行わるべきことを保障しており、また借地借家の調停に準用せられる金銭債務臨時調停法一〇条は、同七条の調停に代わる「裁判確定シタルトキハ其ノ裁判ハ裁判上ノ和解ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定し、民訴二〇三条は「和解……ヲ調書ニ記載シタルトキハ其ノ記載ハ確定判決ト同一ノ効力ヲ有ス」る旨定めている。しかし、ここに「確定判決ト同一ノ効力ヲ有ス」というのは、事件につき単に訴訟終了の効果と執行力とを生ずることを認めたに止まり、既判力まで生ずることを認めたものではないと解すべきである。けだし、訴訟上の和解も当事者の行為としてその効力等の点に関しては実体私法の適用を受けるのであり、それ自体無効なりや否やの争を生ずる余地があるのであるから(例えば、訴訟上の和解の内容に要素の錯誤があつたことを主張して、その和解の無効であることを訴を提起して争い得ることは、一般に認容されているが、このことは訴訟上の和解に既判力がないことを前提としているものである)、これを当事者間の紛争を終局的に解決する目的でなされる司法裁判所の判決と同視して訴訟上の和解にまでも既判力を認めることは、その性質にそわないものである。のみならず、すでに当事者間に訴訟物たる権利関係について和解が締結されその争がやめられ、民法六九六条所定のいわゆる形成力を生ずべき事態に立ち到つた以上、その限度においてはもはや法律上の争訟は存在せず、従つて裁判による争訟解決の必要もなく、むしろ訴訟は終了したものとするのが相当である。そして以後、当事者は自ら定めたところに従つてその生活関係を規律してゆけば足りるのであり、その実効を確保するためには執行力を認めることで必要にして十分であるからである。それ故、調停に代わる裁判が確定しても、ただ事件終了の効果と執行力とを生ずるだけで既判力まで生ずるものではない。元来、調停に代わる裁判は、当事者間に調停の成立しなかつた場合、裁判所が諸般の事情にかんがみ相当と認められる紛争解決の方法を当事者に指示し、これを実行に移すべきことを要請するものにほかならないのである。従つて裁判所によつて指示せられたかかる解決方法を甘受し得ないとする当事者は、その法律上の争訟を解決するためさらに訴を提起し、公開の対審判決を受け得る権利を有するのであつて、かかる権能までをも終局的に排除されるものではない。されば、調停に代わる裁判が憲法三二条、八二条に違反するとする多数意見には、われわれは賛同することができないのである。

裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。

憲法三二条は、何人も裁判所、すなわち、憲法七八条によつて保障された同法七九条、八〇条所定の裁判官によつて構成される同法七六条一項の裁判所でない機関によつて、裁判されることのないことを保障した規定であつて、法律専門家のいわゆる争訟を常にいわゆる訴訟手続をもつて処理すべくいわゆる非訟手続をもつて処理してはならないか、もしくは、その裁判を公開による判決をもつてするか非公開の決定または命令をもつてしてもよいか等の裁判手続上の制限を規定したものではない。現に憲法七六条でさえその二項において同法三二条の本来の裁判所でない行政機関による裁判を行う場合のあることをも認めているのである。されば、ある争訟を民事調停に付し、これを一定の条件の下に前示のごとき身分保障のある裁判官によつて構成される裁判所の決定をもつて裁判し、しかもこれをもつて終審とせず、さらにこれに対し抗告または特別抗告を許すがごとき制度を設けるか否かは、純然たる立法問題であつて、かかる制度を設けることは、現時の社会状勢、訴訟の遅延等の現状に鑑み、毫も憲法三二条に反しないのはもちろん、むしろ、憲法七六条二項の精神にも適合し、奬励すべきことと考える。その他詳細な法律論については、すべて昭和二四年(ク)五二号同三一年一〇月三一日大法廷決定(民事判例集一〇巻一〇号一三五五頁以下)における多数説を援用する。

裁判官田中耕太郎、同高橋潔は、裁判官斎藤悠輔の右反対意見に同調する。

裁判官垂永克己の反対意見は次のとおりである。

私は、(一)憲法三二条、八二条に関して「裁判」ということを後記のように考えるので、この点については多数意見に賛成である。しかし、(二)金銭債務臨時調停法にいう「調停に代わる裁判」が確定しても既判力は生じないので、これに承服できないとする当事者はその事件についてさらに訴を起こし公開の対審および判決を受ける権利を有するから、かような調停に代わる裁判、従つて本件の調停に代わる決定は憲法の右両条に違反するとはいえない。

この点で私は島、石坂両裁判官の反対意見に同調する。この点から、本件特別抗告を棄却すべきである。以上(一)、(二)の私の意見はすでに昭和二四年(オ)一八二号同三三年三月五日大法廷判決(集一二巻三号三八一頁)で示した私の少数意見と同趣旨のものであるが、(一)について従前のものにいくらかを附加して私の意見を次にのべたい。

(1) 固有の意味の裁判固有の意味で裁判とは権利に関する争議について法の定める手続に従い法を適用して判定することをいう。すなわち、法上の権利の存否およびその範囲について争議があるときこれに対して法の定める手続に従いつつ法に照らして権利の存否、範囲を確定することであつて、刑事では、ある特定の人(被告人)に対して国が刑罰請求権を有するかどうか、有するとすればその範囲如何を確定することである。近代憲法の下では、刑事でも、請求に基いてのみ、当事者訴訟の形をとつてこの確定が行われるのを一般とする。また固有の意味の裁判とは権利争議の目的物となつている具体的事実(事件)に法を適用して判定を下すこと(司法)であるといつてもよい。固有の意味の裁判は、広い意味の法(条理、正義人道、衡平などと呼ばれる規範を含む)に照らして、しかも場合によりかなり自由な解釈をして判定を下すものではあるが、それでも結局は客観的な、憲法および法にのみ拘束された、権利存否の法律的判定であつて、特定の事実から発生する権利義務の内容は法によつて一定し、裁判する国家機関である裁判所がこれを増減変更することができないのを大原則とする。例えば、当該契約と法に照らせば買主は代金五万円を支払はねばならない場合には、裁判所は五万円の支払を命ずる裁判だけをしなければならない。裁判所は裁量によりもつと多額もしくは少額の支払、あるいは、支払に代えて他の物の引渡や労務や謝罪を命ずることはできない。仮りに、法律によつて、裁判所に右のような変更裁判をする権限を与えても、それはもはや権利争議に対して法律的判定を下す固有の意味の裁判ではない。(金銭債務について利息、期限のみに関して権利の争がある場合でも変更裁判を許す立法は違憲であろう。)

憲法三二条にいう「裁判を受ける権利」とは本来かような固有の意味の裁判を原告として又は被告として受ける権利を指す。けだし、権利についての争議(法律上の争訟)が裁判所に持ち込まれた場合に、もし、裁判所が当事者の意思に反しても、かような裁判を避け法の適用から離れて自ら衡平適正と考えるところに従い権利関係の変更を命ずる裁量的措置(司法的行政処分)を命じて争訟の有権的解決を遂げうるものとするならば、予め実体法で定められた人の権利義務は裁判によつて不測の(当事者も実体法もが予測しなかつた)強権的変更を受ける虞が常に存することとなろう。例えば、ある具体的の売買による売主と買主の権利義務はその契約と民法とによつて定まる。当事者はこれによつて、自分はこれだけの権利がありこれだけの義務しかないと考えてお互の生活関係であるこの売買を取り決めたのに、一朝争が起つて裁判になると、事情は一変し、裁判所は右契約の成立と当事者一方の不履行を認めながら、当事者の契約上の意思を無視して前例のような権利義務変更の裁判をすることができるとすれば、当事者は裁判によつてどんな目に遭うかも知れず、契約も法律も頼りにならない。これでは、権利者は法が認めて裁判と強制執行をもつて保障しようとする権利の満足をえられなくなり、従つてこの保障が失われた権利は権利たるの実を失い、その結果、広く権利の正しい強制力、法の権威、ひいて社会生活の安固が害される虞を生ずること明らかである。これでは憲法と法律によつて生じた現実の権利を裁判によつて保障しようとする憲法の仕組は意味を失い、専断裁判が法の支配をおしのけるであろう。かような社会状態を是認することは裁判の本質と作用の否定、三権分立制の否定でしかない。だから、何人も固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないものとすることは個人のためにも国家国民のためにも最も大切な三権分立制国家組織の柱石をなす事柄であり、かような裁判こそわが裁判所から奪うことのできない不可欠の権限、至高の使命であるといわねばならない。すなわち、国民は権利を侵害されたと考える場合に原告としても、又訴えられた被告としても、自分が欲するかぎり、固有の意味の裁判を受ける権利を奪われないというのが憲法三二条の第一義である。そしてこの裁判の基礎たる本格的審理としての対論は、当事者が欲するかぎり一度は公開法廷でそれが行われなければならない、その裁判(判決)の宣告も公開法廷でされなければならないと憲法八二条はいうのである。債務者の言い分を聞かないで発する非公開の支払命令や被告人を検察官と対審しないでする略式命令などに対し、公開の対審判決を求める途を封ずるなら違憲なこと勿論である。

(2) 実質上行政たる性質の裁判法が固有の意味の裁判以外に実質上行政に属する行為を裁判所にさせ、これをも裁判として扱うことは、それが合理的で事柄の性質上三権分立制の本義を失わせるものでないかぎり憲法に違反するものでないと解する。法定の場合に裁判所がする不在者の財産管理処分、夫婦間の協力扶助に関する処分、会社更生法による更生手続決定のような、要するに私法上の生活関係に対する国の直接的後見行為たる非訟事件の裁判、あるいは、非行少年に対する保護処分裁判、又は起訴前の勾留状の発付等の強制処分の裁判等がそれである。これらの行為(司法的行政処分)を裁判所に、裁判の形で、固有の意味の裁判に準ずる手続でさせることは裁判所が法の適用を司る独立公正な判断をするに適した裁判官と機構を持つことに鑑み適切なことであつて、これを広義の裁判として扱うことは適当であることが少くない。

かような司法的行政処分も立法によつて裁判とされた以上、裁判官は独立しても法と良心に従いこの裁判をしなければならない。この場合にも、誰でもこの裁判を受ける権利を奪われないが、それはこの立法によつて裁判請求権が発生し、その結果憲法三二条の裁判請求権の保障を受けるにすぎない。かような司法行政処分的裁判をさせる立法を廃しても、別段憲法三二条に違反しない。また、かような司法行政処分的裁判は性質上必ずしも対審や公開を要するものではない。例えば、会社更生法を廃して裁判所に更生手続決定をさせなくしても違憲ではないが、過失による少額の損害賠償訴訟を許さないとし、あるいはこれについて変更裁判ができるとする立法は違憲であろう。

(3) 対論権利争議について裁判するには裁判所は争議内容を理解しなければならない。当事者は裁判所に対しどんな裁判を欲するかを申立てこれを正当とする事実および法律上の理由を主張し、立証し、意見を述べることができるようにすることが最も優れた裁判制度である。当事者双方が裁判所に対し互いにある裁判を申立て、その理由を主張し、立証し意見を述べあうことが対論である。対論は攻撃と防禦であり、鎌倉時代のように、書面の交互提出によつてもできないことはない(例えば保釈願とこれに対する検察官の意見書とにより裁判所が保釈許否の決定をする如き)けれども、最も重要な段階(本格的全面的本審)では、裁判官が親しく当事者双方の言いぶん(要求、事実および法律上の主張、意見の陳述)と証言に耳を傾け証拠を目撃することこそ、裁判官が事実および法律の点について公平に、あらゆる角度から観察し、啓発され、理解し、検討し、真実と法(正義)を発見するのに比類なく優れた方法であることは人類多年の経験によつて今や明らかとなつたところであるから、重要な対論は口頭でするよう法律が規定することを憲法八二条は予定するのであつて、同条にいう対審とは口頭による当事者双方の対論すなわち口頭弁論を指すのである。当事者双方の権利の争議は裁判官が眼で見、耳を傾けるところで口頭弁論の方法で行われ、口頭弁論とこれに基く本格的裁判(判決)は国民に公開され(裁判は口頭で言い渡され)なければならない。明治以前や大革命前のフランスのような秘密・書面審理主義は排される。これによつてこそ、裁判が片言によらず、公明正大に、過誤が少くなされることが担保され、当事者は固より、国民はどんな事件がどんな証拠によりどんな法律的理由で裁判されたかを知ることができる。これが憲法三二条、八二条の精神である。

(4) 裁判の各種固有の意味の裁判がなされる前に、裁判所又は裁判官によつて不合理でない前手続が行われることを法律ないし裁判所規則で定めることを憲法は否定しない。また、固有の意味の裁判も最高裁判所を終審として数個の審級で行われることを憲法は認め、各審級での裁判所の権限、裁判手続も法律ないし裁判所規則の定めるところに任せている。裁判の執行の段階に裁判所又は裁判官が判断や措置をすることも同様であると解される。そこで、裁判官は前手続で忌避の裁判、口頭弁論準備や訴訟指揮の上の種々の裁判をしなければ固有の意味の裁判手続は進められない。これら種々の裁判を一々対審公開手続でしなければならない合理的理由はない。又、支払命令、略式命令を非対審非公開でしても、これに不服な当事者のために対審公関の判決手続の途が確保されており、これら命令に異存のない当事者だけを拘束するようになつている限りこれらの命令は違憲ではない。

裁判を受ける権利は合理的理由がある場合には法律でこれを制限もしくは否定することができる。死人に対する有罪判決を求める公訴、確定判決のあつた民・刑事件に対する再度の訴に対し、裁判所は「裁判(固有の意味の本案裁判)をしない」という裁判をすることができる旨立法し、訴や上訴の趣旨を明確にするため訴状、上訴状の書式要件を定め、早期に法律関係を裁判する必要ある事件について出訴期間を、又、訴訟促進の必要から一般上訴の期間を定める法規を制定し、これに違反する訴や上訴に対しては公開対審手続によらないでこれを却下する裁判をしこれに対する固有の意味の裁判を拒否することにしても違憲ではない。

また、始審と終審との間に控訴審を設けるか否か、また各審級の裁判所の権限を如何にするかは立法に任された部分が広いので、上訴審では事実点又は法律点について一定の重要な事項に関してのみ判決し、左様でない事項については、すでに下級審で事実および法律の点につき公開対審の手続で判決している以上、もはや審判を公開しないで上訴を棄却する、という立法をしても違憲ではない。わが最高裁判所は弁論を開かないで判決を言い渡す場合が少くないが、不適法なもしくは明らかに失当な理由による上訴を棄却するのに必ずしも公開の対審判決を要しないとする立法もおおむね違憲ではあるまい。

あるいは、境界確定の訴において、その甲地の所有者の立証によつても乙地の所有者の立証によつても境界が不明であるような場合には、原告となつた方が甲でも乙でも敗訴するに決まつているから、権利の存否およびその範囲に関する両者の争議は、裁判所が何とか特別の裁判をしなければ永久に解決しないであろう。かような場合には裁判所が当事者双方の主張の範囲内で、その提出した事実、証拠その他裁判所が知つた事情により当事者双方の申立に拘束されないで真実と認める線を境界線と定める判決をすることができる、とする立法は、裁判所に係争の権利を不合理に変更する裁判をする権限を与えた違憲のものだとはいえないのである。

本件「調停に代わる裁判」に抗告という上訴を許しても、抗告審で公開対審をしないで決定し、この決定に既判力を認めるなら憲法三二条のいう「裁判を受ける権利」は奪われたものというしかない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)

抗告人 野村秀三郎

相手方 山木俊助 外三名

抗告人の特別抗告理由

第一章原決定は、憲法の保障した国民の裁判を受ける権利を害したものである。

国民は、憲法に基き裁判を受ける権利を有してゐる(憲三二条)。そして、その裁判なるものは、公開の法廷に於て行ふ対審及び判決をいふものである(憲八二条)。又対審とは、裁判官の面前に於て、原被両告が相対して審理を受けることであり、判決とは、裁判が対審なる以上、当然、審理を行つた裁判官に依つて下される判決をさすものであり、且つ、裁判官が良心に従ひ独立して職権を行ひ、憲法及び法律の拘束だけしか受けない立場に於てなされるもの(憲七六条三項)であることは憲法の明文に照して疑ひなき所である。尚又法律は憲法に基いて解釈すべきものだから、訴訟法上の「判決」なる語は、憲法の「判決」を受けて使はれてゐるものと解すべく「決定」とは截然たる区別がある。

本件は、相手方山木俊助から抗告人に対し家屋明渡を求め、抗告人から相手方山木貞夫外二名に対し占有回収の訴を起したもので、内容はいづれも憲法第三章に定むる財産権(所有権、賃借権、占有権)及び住居不可侵権に係る訴訟である。故にその根源は、憲法に依つて保障された国民の裁判を受ける権利にかかるものといふべく、従つて之が裁判は上述憲法の条文に基く裁判として民事訴訟法に依り処理されねばならぬ性質のものである。

然るに、原決定は、第一審裁判所が戦時民時特別法に依り事件を調停に附し調停成らざるや該法準用する処の金銭債務臨時調停法第七条に基き更に非訟事件手続法を準用して調停に代る裁判を行ひ決定を以て裁断したことを是認した第二審決定を、再び決定を以て是認したのだから、根底からして憲法八二条に抵触した裁判であり、即ち憲法三二条の基本人権を害したものといふべきである。

第二章本件を、戦時民事特別法に基き、調停に代る裁判に附したことは違憲である。

原決定は、法律の自然消滅を認めない解釈の下に抗告人の主張を斥けたが、それは通説に悖る許りで無く、戦時民事特別法それ自体の条文にも反するものである。

戦時民事特別法は、「戦時に於ける民事に関する特例」を規定したものなることは、その第一条の明示する所である。故に戦争終了と共に該法が消滅することは、敢て喋々を要しない。殊に、該法が、その附則中に「戦争終了の際に於ける必要なる経過規定は勅令を以て之を定む」の一項を設けてあるのに徴すれば、特に廃止法律の公布を要せずして戦争終了と共に消滅することは、立法の頭初より確定してゐたものといふべきである。

戦時民事特別法廃止法律は、昭和廿年十二月二十日公布、同廿一年一月十五日施行の法律で、即ち終戦後四か月余を経て公布され、五ヶ月を過ぎて施行されたものである。故に該法律は附則に「旧法第三条第五条及び第十四条乃至第廿二条……は本法施行後と雖も当分の間仍其の効力を有す」との一項があつても、戦時民事特別法は上述の如く既に五か月も前に消滅してゐるのだから、「仍其の効力を有す」の対象となる「旧法」なるものは現存してゐない。故に右附則の条文は架空のものだといふべきである。

戦時民事特別法廃止法律は、旧憲法時代に出来た法律である。旧憲法では、法律は天皇の裁可及び公布命令を効力発生の必須条件とする。而して該法律公布の上論には「朕……戦時民事特別法廃止法律を裁可し茲に之を公布せしむ」とある。故に天皇の裁可及び公布命令は「廃止」だけにかかつてゐるものであつて、該法附則第二項の如き「存続」にはかかつてゐないのである。殊に戦時民事特別法は上述の通り、右裁可及び公布命令四か月前に消滅してゐる(御裁可、公布命令は、昭和廿年十二月十九日に出たことは該法前文の上論に掲げてある)。のだから、戦時民事特別法廃止法律は、実質に於ては「廃止法律」では無くて「存続法律だといふべく、従つて天皇の裁可及び公布命令の上論と法律の内容とが全く正反対となる訳で、益々以て戦時民事特別法廃止法律は、法律たるの要件を欠くものたることが知られるのである。

戦時民事特別法は総力戦体制に基き制定された法律で、即ち司法機関による戦闘行為の一部に属する。故に終戦後の今日尚その一部を存置しておくことは、憲法が戦争抛棄を規定した趣旨に反するものといふべく、憲法第九条の精神及び第九八条の規定に基き効力無きものとせらるべきである。尚我が国がポツダム宣言を全面的に受諾しておきながら、斯る戦闘行為の一部を残存せしめておくことは、聯合国に対し申開きの立たぬ不信行為であると申しても敢て過言では無いと思ふ。故にこの法律を無効と解することは、高所大所から見て正にさうせねばならぬ所である。

以上述ぶるが如き次第だから、第一審裁判所が、戦時民事特別法に基き本件を調停に附し、調停成らざるや、調停に代る裁判に依つて決定を行つたことは、結局、違憲の法律に依つて裁判を行つたことになるのである。然るに第二審及び原審決定が之を是認して抗告人に種々なる義務を負せたことは憲法二九条、三一条、三二条、七六条三項及び八二条に抵解する非違を犯したものと申すべきである。

第三章原決定が相手方の不法行為の有無の認定を回避し又は瞹昧に附したのは、違憲である。

裁判に於て当事者の申立にかかる事実の有無を認定することは、裁判官の職権に属する。然し、当事者の申立てたる事実については、その有無の認定は必ず之を行はねばならない。それは之を欠いては裁判にならぬからである。

抗告人は第一審以来各審に於て、相手方が、集団暴力に依る直接行動で、抗告人の住居に侵入し、その一部に占拠してゐる事実を挙げ、憲法及び民法の法文に基き相手方山木俊助は家屋明渡請求権を喪失し、同山木貞夫等は占有侵奪部分返還の義務を負ふことを、幾多の証拠に依つて主張した。

然るに、本件に関する裁判は、第一審に於ては「審理の中途に於て調停に附した為め十分に証拠調を尽してゐない」ことを標榜し、そして、相手方山木貞夫等の占有が「不法か否かには陽には触れてゐない」と逃げ、第二審に於ては「相手方等の本件家屋に対する入居は、相手方等としても抗告人の明示の承諾があつたとは主張することができない程徴妙なものであつたことである。当裁判所は本案の裁判所でないから、右二点については判断を下そうとは考えない」と述べ、そして、事案の裁断に当つては、ただ「抗告人が前記の通り、賃貸人側の同居を承諾していなかつたものとするならば、貞夫らが本件家屋に入居するわけにはいかなかつたものといわねばならぬ筋合であり」とか、「事態がこのように深刻な経過をたどつているのはもとより貞夫が抗告人の承諾をえたものとして本件家屋に居住することになつたことにその原因の一部を認むべきであろうが」などと瞹昧な言廻しをするだけで、貞夫等が集団暴力で抗告人を威圧し、非合法の直接行動で本件家屋に入居したこと入居後種々なる兇暴を抗告人及び抗告人の家族に加へたこと、俊助の親権者節が貞夫等の右行動に同腹であつたこと、節が貸主の権利のみ主張し義務は些も尽さないことについては、一言も触れる所がない。

一体、住居の安全、個人の尊厳、生存権、法定手続の保障は、憲法の定むる基本的人権で、総ての国務の上で重視さるべき筈のものだから、如何に調停に代る裁判だからといつて、上記の如き事実の認定を等閑に附したり、又は瞹昧裡に葬つたりすることは許さるべきでない。原決定は、右の点に於て欠くる処のある第二審決定を是認したのだから、憲法に違反したものである。

第四章原決定の再抗告理由第二章に対する判示は、違憲である。

原決定は、抗告人が原審に提出した再抗告理由第二章を批判し、「……調停に代る裁判は各条項が互に関連するもので、各項が独立してその効果を生ずべきものでないことは各条項を通読すれば自ら明かなところである。それ故、抗告人は第一項を除き第二項以下の条項について抗告し、審理裁判を求めるというようなことはできない」とし、「抗告裁判である原裁判所は右裁判の全部につき審理判断する職責を有する」と断じ、その理由として「何となれば、以上の各条項は一体をなして一個の裁判がなされているものであるからである」と論鋒を循環させてゐる。然し、その謬れることは、抗告人が原審に提出した再抗告理由中に述べた処及びその中に援用した文書に依つて明白なので、茲にはそれを援用する。ただ一言附加したいのは、原決定が議論を循環させてゐるのは、自ら理由無きことを暴露させてゐるものだといふことである。故に、本件は抗告人が第二、三審に於て主張した通り、訴そのものが既に終熄してゐるものと申すべく、之を顧みずして裁判を行つた原審決定は、法律に根拠なき裁判であつて、憲法第三一条前段、第七六条第三項に反するものである。

第五章原決定は、法律を無視し、又は之を誤解した裁判で、憲法第七六条第三項に反する。

裁判官は、憲法第七六条第三項に依り、法律に拘束せられる。故に、若し、裁判官が法律を無視し、又は誤つて之を使用して裁判を行つた場合には、そこに違憲の存することは疑が無い。

抗告人が、原審に提出した再抗告理由書中には、第一、二審の法律違反を摘示した部分が少く無いが、原決定は悉く之を違法にあらずとして一掃した。然し、それは決して正当の法の適用とは解せられないから、ここにその主なるものにつき、違法なる所以を述べて御審理を煩すことにする。

(1) 原決定は、再抗告理由第五章(イ)につき、抗告人の所論は理由が無いと判示してゐるが、戦時民事特別法は、自然消滅に帰した法律なることは前述の通りである。仮りに自然消滅したものでないとしても、昭和廿年法律第四六号を以て標題をも含めて廃止されたのだから、現存してゐる法律で無いことは明白である。故に、若し、第一審裁判所が昭和廿年法律第四六号附則第二項に依拠することを欲するならば、その旨(即ち昭和廿年法律第四六号附則第二項に依る旨)を示すか、又は戦時民事特別法廃止法律(上論に依る)附則第二項に依るものたることを示すべきである。然るに、第一審裁判所は、事件を戦時民事特別法に依る調停に附し云々の決定を行つたのだから、法律の題名を謬り不存在の法律に依拠することを表示したもので、違法たることを免れない。

(2) 同上(ロ)につき、原決定は、「第十六条は第十四条によつて創始された、調停として訴訟事件を処理することができることを定めたものであるから、右調停手続には所論の第十八条の規定の適用あることは疑がない」と判示してゐる。然し、右第十四条は当事者の申立に依る調停であり、その申立をなすには、事件が訴訟に繋属してゐると否とを問はないが、第十六条は裁判所が職権に依り行ふもので、訴訟を受けてゐることが必要条件となつてゐる。故に之は混同することは出来ない。又第十八条には明かに第十四条の調停と明記してあるのに、之を第十四条及び第十六条の調停だとなるように解釈することは、余りにも文辞を離れた解釈で、たとひ、幾分の正当性を附け得ることが出来ると仮定しても、一般的、大衆的でないから、民主々義に依つて諸般の国務を行ふべき現下の我が国に於ては、容れらるべき解釈でない。原決定の所論は此の点に於て法令民主化の国是にも副はぬものである。

仮りに、原決定に従ふとすれば、第十四条但書の規定があるから、本事件の中家屋明渡にかかる件は、第一審裁判所に於て借地借家調停法に依り調停に附し云々の決定を行はなければ違法となり、第二審裁判所でその誤謬を匡さなかつたことも、亦違法となるのである。然るに、第一審裁判所及び第二審裁判所では右の方法をとらなかつたのだから、之を是認した第三審裁判所も亦違法の決定を行つたことになるのである。要するに、原決定の判示は、右牴左触、到底正当の判断とは認められない。

(3) 同上(ハ)は、第二審裁判所が第一審裁判所の決定を誤認し、事件中家屋明渡事件は借地借家調停法に依つたものとし、而も借地借家調停法の規定に依らない処理を行つた為に生じた違法を衝いたものであるが、原決定は何等此の点に触れた判示を行はない。之では、抗告人は、遺憾ながら、第二審に於て如何なる法律に基き、調停に代る裁判を受けたのやら判らず、五里霧中にさまようのみである。

(4) 同上(ニ)につき、原決定は、「抗告裁判所である原裁判所は所論決定を審査し、抗告が理由があるかどうかを判断すべきもので、抗告裁判所としては更に所論(ニ)にいうような措置を採るべきものではない」として、抗告人の申立を斥けたが、それは何等法律に根底を有せざる所論で、之を以て、抗告人主張の本件第二審は民事訴訟法の控訴の規定が準用されるのだから結局第一審裁判所に対し覆審が行れるべきだとする法律に立脚する論議を打破することは出来ない。故に原決定は、違法の決定と申さねばならぬ。尚本件は次項(ホ)の所論も包含せしめて勘案せられんことを希望する。

(5) 同上第六章第一節につき、原決定は、第二審決定を支持したが、如何に調停に代る裁判だとは申せ、紛議の中核をなす事項に対し、判断を不明確にしては、到底正鵠をいた裁判の出来るものではない。故に原決定は理由不備なる決定といはざるを得ない。抗告人はここに之を指摘すると共に調停に代る裁判なるものの如何に違憲なるかを証明するの一例証として前述第一章の裡付とする。

(6) 同上第二節について原決定は「契約解除に関する条項の如きも有効になし得る」として抗告人の申立を斥けたが、金銭債務臨時調停法はもともとその第一条に示す目的の下に制定された法律だから、第七条規定する所の調停に代る裁判も、契約解除を強制する如き苛烈なる措置をなすことを想定してゐないことは、疑ふの余地が無い。若しかかる苛烈なる措置を要する場合の為には第五条の規定さへある程である。又金銭債務は如何に契約を解除したからとて、債務が無くなる性質のものでないから、第七条の調停に代る裁判は強制的の契約解除をなすことが出来ない法意だと解すべきである。一体、調停に代る裁判が非訟事件手続法を準用して行はれることは、民事訴訟法に依る裁判に対する例外規定である。例外規定は之を拡大して解釈適用すべきでないことは、法律解釈上の通説である。故に事案が家屋明渡事件で、金銭債務事件で無いにしても、金銭債務臨時調停法の法文を拡大的に解釈して契約解除の強制までに及ぼすことは、決して正しい解決では無い。故に原決定の判示は違法の判示である。

尚、茲に附加したいことは、原決定は、抗告人の家屋明渡につき、些の準備期間をも設けないのだが、抗告人が第一審決定の家屋明渡期限内に立退き得なくなつたのは、必ずしも抗告人のみの責任でないことは、事件の経過から見て敢て説明を要しない所なのに拘らず、又相手方の損失は損害賠償の方法に依つて匡救し得る途あるに拘らず、原決定は毫もその点に思を致さず、即刻強制執行をなし得る結果を招く決定を行つたのであるが、之は調停なるものの趣旨に悖るものと申すべく、調停に代る裁判として当を缺いた措置である。抗告人は幸にして御庁の理義に明徹した決定を仰ぐことを得たので、街頭に突き出される危難を免れたが、若し、それが無いとすると、抗告人は生命にかかる災厄を受けねばならなかつたのである。故に原決定は啻に上記の法律違反があるのみならず、憲法第二五条第一項の生存権をも害する違憲を敢てしたものといつても過言でないと思ふ。

(7) 同上第三節について原決定は、同第二節を併せ「要するに右は原裁判所の専権に属する事実の認定を非難するに外ならないから抗告理由としては採用するを得ない」として、総てを一排し去つたが、再抗告理由第六章第二、三節に於て抗告人の述べたことは、事実の認定について非難したのでは無く、右各節冒頭所言の通り、法律に違反した点を明白にする為事実を挙示したのである。それは右抗告理由を一読すれば何人も判明する所である。殊に、第二審決定は、事実の認定を脱落し又は瞹昧にし、有力なる証拠を無視し又は曲解した点が甚だ多く、金銭債務臨時調停法第七条示す所の要件を具えた裁判でないから、此の両節に於て之を披陳したものである。然るに、原決定は、之をただ「事実の認定を非難するに外ならない」として斥けたのは、飛んでもない見当違ひのことで、違法たるを免れない。

(8) 同上第四節について原決定は、調停に代る裁判の条項を定めるに当つては、「必ずしも訴訟事件の対象となつてゐないものであつても之を条項として定めることができる」として、抗告人が訴無ければ理せずの原則に戻つた裁判を行つたことを違法だとしたのを斥けてゐるが、少くとも左の二点に於ては大なる行過ぎであつて違法たるか免れないと思ふ。

(イ) 抗告人が野村能雄を伴つて本件家屋から退去することは全く理由の無いことである。右能雄は、血縁に於ては抗告人の次男である。然し、同人は、一旦相手方俊助から本件家屋の不法占有者として、立退請求の訴訟を起されたが、相手方俊助はその後自ら該訴訟を取下げたので、同人の本件家屋占有は相手方俊助の認むる所となつたのである。(本件訴訟記録で明白の事実)

その様ないきさつがあるので、同人はその後程なく抗告人と家計を分別し、経済的にも独立の一世帯を立て、医業の経営租税の納付、配給品の受給等総て抗告人の世帯とは、別箇の取扱を受けてゐるのである。

故に、調停に代る裁判に於て抗告人に対し、右能雄を伴つて退去せよと命ぜられても、抗告人は同人が同意せざる限り如何ともなし得ないのである。(又右裁判は野村能雄を当事者として行はれたものでないから、その決定は、能雄に対しては何の拘束力をも有しないのは申すまでも無い。)原決定の認容した第二審決定は、抗告人に徒に実行不能の義務を課したもので、如何なる法律的根拠に基くものかも判然しない。若し、之を以て右能雄をも退去せしめんとする意図に出たものとすれば、同人の居住権をも害するものであり、違憲たるを免れない。

(ロ) 電気及び瓦斯は、抗告人が各供給会社と契約し、計量器を通して供給を受けその計量器上に現はれた数字に従つて代金を支払つて購入してゐるものである。故に計量器を通つて出た電気、瓦斯は、桝で量り買ひをした米や酒と抗告人の財物たる点に於て少しも変る所が無い。ただ米は固体、酒は液体、瓦斯は気体、電気はエネルギーなる為供給の受方、其の他取扱方法が異るだけである。(但し電気が民法上の有体物と見做さるべきか否については疑問もあるが、既に刑法が財物と見做してゐる以上、民法上でも財物と見做すべきが当然だと思ふ。)故に、他人は、抗告人のこの財物(電気は刑法に依る財物)を抗告人の許諾無くして恣に使用消費することの出来ないのは当然で、裁判官と雖も、所有者の意に反して他人が之を使用することを認容する裁判を行ふ権限はない筈である。原決定は之につき「なんら公序良俗に反するものでない」といつてゐるが、他人の財物を勝手につかふといふことは、公序良俗を害するのみならず、財産権不可侵を規定した憲法にも悖戻するものである。

第六章原決定が相手方一辺倒の第二審決定を支持したことは違憲である。

原決定が認容した第二審決定は、抗告人が第二審裁判所に提出した抗告理由に対し「第四、抗告人は別紙抗告理由書に示すように極めて詳細な抗告理由を主張している。このうち第一款において主張するところはすべて家屋明渡請求事件及び占有回収事件の本案についてその主張を詳述するもので、これに対する判断は、本案裁判所の職責に属し調停裁判所のそれに属しない」(と、いひながら、相手方の利益になるものは採用してゐる)として、抗告人の主張及び之が裏付をなす証拠関係を審査外に押し退け、且つ前記第二章、第五章に述ぶる如き、事実認定の回避又は瞹昧、証拠の無視又は曲解を行つて、抗告人に有利なる部分は殆んど之を伏せ、又被抗告人の家庭事情は一々之を重視するに拘らず、抗告人の家庭事情は「これについて抗告人主張のような事情までも考慮しなければならないものではない」として、闇から闇に葬り去つたのである。之では金銭債務臨時調停法第七条に示す所の「衡平の考慮」と「一切の事情の斟酌」をした裁判とは申せない。加之、国民の憲法に基く裁判を受ける権利を不当に抑圧したことになると思はれる。第二審決定は、更に進んで、「抗告人としては法律上の義務のあるなしに拘らず、当時の住宅事情や、賃貸人側の苦衷にも思ひを馳せて、せめて一、二室なりと譲歩すべきところであつたろうと考えられる」だの「事態がこのように深刻な経過をたどつてゐるのはもとより貞夫が抗告人の承諾をえたものとし本件家屋に居住するようになつたことにその原因の一部を認むべきであろうが、むしろ、その原因の大部分は抗告人としては前記の通り、当時賃貸人側の同居申出を拒否しなければならないような事情がなかつたのに多少の不便を克服して同居生活をしのぶという態度に出でず、また、賃貸人側に対する刑事責任の追及には極めて熱心ではあるが、賃貸人側の立場をも考慮するという互譲を欠いてゐたことにあるものといわねばならない」などと原因結果を顛倒したり、事実を歪曲したりしてまで極力抗告人を貶損してゐる(第二審決定の不当については原審に提出した再抗告理由書を参照せられたい。)抗告人は何故にかかる裁判が行はれたか、その理由を知るに苦しむが、斯の如きことは、相手方が家主及び家主の縁者でなければ、到底なし得ない所だから、結局、家主対借家人の関係を不平等に取扱つたものと認めて差支ないと思ふ。果して然りとすれば、憲法第一四条は「すべて国民は法の下に平等」だと規定してゐるのだから、裁判上に於て賃貸人側だからといつて、格段の同情を受けたり、又は非合法行為が寛仮されたりする特別待遇に預る道理はなく、賃借人だからといつて、家主側から暴力に依つて住居の一部を侵奪されても、その他種々なる兇暴を受けても、之に甘んじなければならない筈はなく、又家主側から家屋明渡要求を受けたとき理由の有無を争ふことを抑制されたりする訳も無い。殊に相手方の犯罪行為を告訴したからといつて、それが民事上の裁判の決定で不利に援用される次第は少しも無い。然るに第二審決定は相手方に特別待遇を与へることに一辺倒し、原決定は之を全面的に支持してゐるのであるから、抗告人は原決定を以て法不平等の憲法の明文を無視した違憲の決定だといはざるを得ない。

抗告人 野村秀三郎

相手方 山本俊助 外三名

抗告人の抗告趣旨追加並び補充及び釈明

一、抗告の趣旨中追加

抗告の趣旨中イの項の冒頭に左の通り追加する。

第一審乃至第三審裁判は無効とする。又は

注 右追加の結果、イの項は次の通りとなる。

イ、第一審乃至第三審裁判は無効とする。又は原決定は取消す。

二、抗告理由中補充及び釈明

(1) 抗告理由書第一章の末尾に左の通り追加し、抗告理由の趣旨を補充する。

今、之を裁判の記録に基き、具体的に陳述すれば、(イ)本裁判は、第一審は調停不調となつた後は何等対審を行はざるのみか決定理由(第一審)に自ら示す如く、証拠調も碌々行はないで、調停に代る裁判を以て決定を下したものであり、第二審は太田実が証人訊問の呼出期日に不出頭なるをそのままに、書面審理に依つて同人にかかる相手方の主張を採用し、抗告人を貶損した決定を行つたものであり、第三審は些の対審をもなさず純然たる書面審理のみで決定を行つたものである。故にこれ等の裁判は、いづれも裁判の公開及び対審に欠くる所のある裁判である。(ロ)第一審は一人制の裁判で、判事更迭の為、全然審理を行はない判事が決定を行つたものであり、第二審は三人制の裁判で、決定に署名した裁判官中小川裁判長及び川上裁判官は決定直前新に本件を担任することとなつたもので、事件を直接審理したことのない裁判官である。斯る裁判官が何等法定の手続きを履まず決定を干与したことは、対審の性質に悖つた裁判である。第三審は第二審決定を全面的に支持したのだから、索連的に第二審の欠陥を受継いだ裁判である。(ハ)第一審決定は、金銭債務臨時調停法第七条の準用に依り調停委員の意見を聴いて行つた裁判によるものである。又、第二、三審決定は、第一審決定を殆んど全部支持したのだから、第一審決定がその裁判の基調をなしたことは明白であり、従つて裁判官にあらざる者即ち調停委員の意見が、裁判官の心証に影響してゐる裁判たることは否定し得ない。故に本件裁判は第一、二、三審を通じ、憲法第七六条第三項に示す所の裁判官が独立してその職権を行つた裁判とは申せない(次章参照)。(ニ)本件裁判は決定を以て終局せしめたのであるから、それは、裁判は判決に依るべきものとする憲法の条文に反することいふまでも無い。原決定は、かくの如く違憲に違憲を重ねた上に行はれた裁判によるものだから、抗告人は、之を以て、国民の裁判を受ける権利を害した裁判だとせざるを得ない。

(二) 同上第二章の末尾に左の通り追加し、抗告理由の趣旨を補充する。

仮りに、原決定に従ふとすれば、戦時民事特別法の適用に基き、民事に関する一切の紛争は、裁判所の認定に依り、当事者の意思如何に拘らず、総て調停及調停に代る裁判を以て処理することが出来ることとなり、若し、之が極端に行はれるとすれば、訴訟は裁判所から姿を消すに至るのである。斯の如きは民事訴訟制度の根底を覆し、法治国の理念を崩す許りで無く、憲法第三二条に保障する所の国民の裁判を受ける権利を害し、且つ憲法第八二条に示す裁判公開の規定を無視するものである。又、右調停に代る裁判は、金銭債務臨時調停法の準用に依り、調停委員の意見を聴くを要することとなつてゐるが、裁判官にあらざる調停委員が裁判に関係することは、司法権が裁判所に属し、裁判所は裁判官を以て構成し、裁判は裁判官が独立の立場に於て行ふものとする憲法第六章の条文及び精神に反する。故に調停に代る裁判を強制し得る戦時民事特別法中の条文を仍効力を有せしむる旨規定した昭和廿年法律第四六号附則の規定は、上敍憲法違反の法律であつて、憲法第九八条に依り効力を有しない法律といふべきである。

(三) 同上第二章中に述べた「戦時終了」の意義に関し、左の通り釈明する。

我が国と聯合国との間に於ける講和条約は未だ完成してゐない。故に現下の我が国は「戦時」であるとの説が出るかも知れぬ。然し、聯合国はポツダム宣言第一項に於て「吾等ハ……日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ」と提示して我が国に対して降伏を勧告し、我が国は昭和廿年八月十五日「太平洋戦争終結ニ関スル詔書」に「非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セント欲シ……帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」と仰せられ、所謂全面的降伏を行つたので、前に発せられた宣戦の詔書はその効力が消滅し、又帝国軍隊は武装を解除し、連合国軍隊は攻撃を止め、戦争は此の日を以て、法的にも将た事実的にも終結したのである。之は、その後、当事国間に戦争の行はれてゐないという事実が最も雄弁に証拠立ててゐる所であり、且つ我が国と旧相手国との間には着々和親が増進し、今日を以て戦時なりと思ふものは天下一人も無いのに徴して明かな所である。(( 此程、サンフランシスコで行はれた講和会議に於て、トルーマン米大統領の行つた演説中にも、「一九四五年戦闘が終末を告げて以来云々」(昭和二六年九月六日附夕刊毎日新聞第一頁第六段所掲に依る。(同日朝日新聞第二三五四五号第二頁第三段にも同様の記事あり)とあつて、戦争の終結した旨を明かにしてゐる。だから、抗告人が、天下一人も無いといふのは、決して誇張の言ではない))。又、曩に、政府が発表し、都下各新間が掲載した、平和条約の最終草案にも、其の前文中に「……両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締結する……ことに決定し」とあり、今回の平和条約は、戦争を終結する為のものでは無くて、戦争終結後、戦争状態の存在の結果として、なお未決となつてゐる問題を解決する為のもの、即ち戦争の跡始末をつける為のものなることが明かに示されてゐるのである。故に、戦争が既に終結し、戦時が解消したことは、毫末も疑ふの余地が無く、従つて、平和条約が效力を生ずるまでは戦時だといふ論は、鎮火しても灰かきが終らぬ中はなほ火事だといふやうなもので、全く意味をなさぬ議論である(之は、今回の講和が、交戦中又は休戦中に行はれるのではなくて、講和前既に全面的降伏をしてゐることに想到すれば、一層よく判ることである)。故に戦時民事特別法第一条及び附則第三項掲ぐる所の「戦時」なるものは、終戦詔書発布の日即ち昭和廿年八月十五日限り解消したことは絶対に謬りは無いと信ずる。(仮りに論者に従えば、所謂全面講和が成らぬ限り、何時までも戦時がつづくことになるが、それは常識的でないのみならず、国際的にも悪影響があると思ふ)

(四) 同上第三章所述憲法違反の意義に関する釈明

本係争事件は、訴の名義は、家屋の明渡請求及び占有回収の訴であるが、内容は決して単なる家屋にかかる財産権上の争ひのみでは無く、抗告人が第二、三審裁判所に提出した抗告理由書並びに陳述書その他の文書に於て論明した如く、住居安全の侵犯(不法侵入、不法占拠)、個人の尊厳の冒涜(暴行脅迫等)、生存権の侵害(不法手段による追出行為)、法定手続の無視(直接行動による家屋の侵奪並びに之に伴ふ電気、瓦斯の強取)等憲法上の問題が争訟中最も重要の部分を占めてゐるものなのである。然るに従前の裁判は、何故か、右に対する事実の審理並びに法的判断を等閑に附し又は之を回避し、此の重要の訴案を骨抜化したのである。

一体、憲法は、主権は国民に在り(憲法前文、第一条)、国政は国民の厳粛なる信託によるものだとなし(憲法前文)、更に基本的人権は永久に犯すことの出来ないものなることを保障し(憲法第一一条)、その上基本的人権を侵すことの出来ない永久の権利として信託されたものなること(憲法第九七条)を明示してゐる。故に、本訴案の如く、幾多基本的人権に触れる問題を包蔵する事件に於ては、裁判官は綿密なる事実の審理と適切なる法的判断とをなすを肝要とし(憲法第九九条)、仮令一部法律の解釈上、右審理及び判断を欠いても差支なしとする理啻が一応立て得るとしても、国家の最高法規たる憲法に上敍の如き規定が厳存してゐる以上、かかる解釈に従ふことは許さるべきではない。仮りに、若し、それが許されるとすれば、憲法の示す国政、基本的人権の信託は、単なる譲渡又は拠棄と異る所が無くなり、又基本的人権に対する国家の保障は、民法第一三四条の債務者の意思のみに係る停止条件附き法律行為と同様となるのである。斯の様な結果を齎す解釈は、決して正しい解釈とは申せない。故に、相手方の行つた住居侵入及び之に伴ふ種種なる基本的人権侵犯行為に関する抗告人の申立に対し、審理を回避し、又は判断を瞹昧にした第二審決定は、重大なる違憲を犯したものであり、此の第二審決定を全面的に支持した原審決定は亦之と同様の憲法違反を敢てしたものといふべきである。

(五) 同上第五章中(7)の末尾に左の通り追加し、抗告理由の趣旨を補充する。

今、茲に、その甚しき事実の一班を挙げ、全貌を窺ふの資に供する。

抗告人は、第三審裁判所に対し、第二審決定が相手方の住所を全部抗告人と同所同番地としたことにつき、その謬れる所以を証拠を挙げて論明し、適切なる裁判を仰ぐべく審理を求めたのに拘らず(第三審に提出した抗告理由書第六章第三節(チ)参照)、原決定は、之をしも、原裁判所の専権に属する事実の認定を非難するに外ならないとした理由の下に、排斥したのである。一体、相手方の住所については、昭和廿四年十月二十五日相手方の訴訟代理人が、第二審裁判所に提出した上申書並びに甲第十七、十八号証に依つて抗告人と同所同番地でないことは明瞭なのである。然るにも拘らず、第二審決定は、此の事実を等閑にし、相手方等が全部抗告人と同所同番地でないことは明瞭なのである。然るにも拘らず、第二審決定は、此の事実を等閑にし、相手方等が全部抗告人と同所同番地に居住してゐる如く架空の記載をした。此の様なことでは、到底、判断の中正はあり得ない(該決定が山木側一辺倒に堕したのは、蓋し、此の為と思はれる)。故に、第三審に於ては、抗告人の申立を認容し、右第二審の舛錯を徹底的に匡正する所がなくてはならぬ筈なるに、是亦意外にも上敍の如き判示を行つたのである。しかも、第三審は、右の如く、第二審決定が被抗告人全部の住所を抗告人と同所同番地としたことを違法にあらずと判示しておきながら、その決定書掲ぐる所の被抗告人の住所は、第二審決定とは異り、前述相手方訴訟代理人の上申書並びに甲第十七号証所掲の通りに記載してゐる。だから、原決定は、被抗告人住所の表示が、決定理由と明かに矛盾してゐるのである。そして、此の矛盾は、単なる錯誤と見るには、余りにも念の入り過ぎたもので、高等裁判所の裁判としてあるべからざることである。故に之は、事件を強ひて調停に依つて解決せんとするの余り抗告人に抑圧を加ふるに必要を生じ、故意に決定理由を歪曲したる為、斯る結果をもたらすに至つたものであろう。又右推測を抗告人の思過しとして排斥してみても、斯る二重の錯誤をしたことは、審理が甚だ杜撰なるを示すもので、最終審たる第三審として甚だ苦々しきことである。

憲法が、裁判官の選敍、罷免、独立、待遇等につき特に条文を掲げ、且つ裁判公開の規定を設けておく所以のものは、畢竟するに、裁判をして精確且つ公平ならしめんとする趣旨に外ならない。故に原決定の如く、審理を杜撰にしたり、又は判断を不公平にした裁判は、啻に、本章冒頭所陳の違法が齎らす違憲たるのみならず、憲法の根本精神にも悖る非違を犯したものと申すべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例